忍者ブログ 私の中の微風Ⅱ
身近な怒りを文字に
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   先日の買物での事。
欲しい物を買物籠に入れ精算するために、レジへ並ぶ。
『お待たせしました』との言葉の後は、無言のまま品物のバーコードを当てている。
そのたびごとに『ピー』という音が異常に耳に付く。
それだけなら未だしも、『火を通さない野菜』までも、籠に入れずにテーブルの上に平気で置く。
最初、エッと思いながらも隣のレジでも同様の行動である。
どうやらこのスーパーてはこれが当然であるのか、それとも上司から指導されているのでしょうか。
店舗入り口には、『アルコール消毒』というイメージアップの事をしながらも、
このレジでの行動はいかがなものなのでしょう。
レジのテーブルというのは、案外汚いものだと思っている。
籠が絶えずその上に乗っかり傷まみれであり、また食品の水分のようなもので濡れている。
時々はタオルで拭いてはいる。
でもその籠というのは、買物客というのは時に地面の上に平気で置いている事がある。
その籠どうしが重なり合っているのは仕方ないにしても、
目の前でその籠の底の部分が今まで乗っかっていたテーブルのその場所に、
『火を通さない野菜』を直に置かれたらたまらない。
洗えばいいのでは?とはいっても、気分の問題。
いくら入り口で手をアルコール消毒したって、店員がこの意識ではどうなんでしょうか。
他のチェーンスーパーでは前の人が花の苗ポットを今まで入れていたその籠に、
自分の食品を入れられようとしたので思わず『籠替えて!!!』と叫んでしまった。
幾らなんでもさっきまで苗ポットが入ってた籠に、食料品を入れる感覚は潔癖症では無くても美意識を疑うしかないです。
お金を払って商品を手にする。
ある程度の事は仕方ないですが、あまりにも『現実』を目の当たりにすると、
二度とその店には行きたくはないですね。
日本有数の流通チェーン。
でも大きくなりすぎた故、そこに働く人の意識と質の低下。
それに比べ、地元スーパーの元気な事。
ひとつひとつの商品の金額を読み上げたりしている姿は、すがすがしいです。
品も良いし、値も安い。
安かろう、悪かろうどころか、同じ物が新鮮で2割くらい安い事がある。
大きくなりすぎると値段の高い割には、
こうした庶民の細かい思いまで、気がつかないのかもしれない。


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   今日の地元紙の同じ紙面に興味のある記事を見つけた。

そのひとつ。

   開発、運用に128億円もの巨費を投じて作った『放射性物質の拡散試算図』。
2000枚作成され公表されたのはわずか2枚だけ。

当の原子力安全委員会の言い訳が素晴らしい( ..)φメモメモ
『予測に必要な原子炉の圧力や温度、放射性物質の放出量といった放出源情報を入手できず、事故前の想定通りに拡散予測はできなかったと強調している』
また『試算図は実際の拡散状況と異なり、誤解を招きかねない』とも説明。
しかし予想は予想。
だれも100%確定な予測なんて有るとは、思ってはしませんよ。
台風の進路予測だって大幅にはずれている事なんて、常識。
今回の震災にしても偉い先生方の誰も予測していなかったというから驚くけど、
やっぱりなあと思うだけです。
国家から多くの予算を付けてもらって、外したり想定外だというのはまだマシである。
せっかく2000枚の試算図がありながら公表しないのは、『不作為の作為』ではないだろうか。
公表して国民がパニックになるとか言って言い逃れするケースが多々あるが、
知らされないケースのほうが余程パニックにもなるし、放射能事放に関しては、
本人だけでなく子孫代々放射能汚染に苦しむことになりかねない。
そういう意味では、国民を馬鹿にしているし、軽視しているとしか思えない。
まさかそのデーターだけを知っている『一部の人間』だけが、
安全な時期に安全な場所に逃亡するのでは?と疑ったりもします。
この原子力安全委員会という組織は一体どういう存在意味を持っているのでしょうか。
『イエスマン』ばかりの先生方による『国家的企業の存続』にお墨付けを与えるだけの組織。
昔政治家の陰口で『神輿は軽いほうがいい』と昔聞いたこと有るけれど、
まさかこうした原子炉安全委員会の先生方も『軽い存在』なんでしょうか。


   そしてふたつめ。

『紙の上にフェルトペンでじかに記事や見出しが書かれている。壁新聞のような手作りの紙面は“生きてるぞ”という新聞自身の叫びでもあったに違いない』
震災にあった石巻市の地元紙『石巻日日新聞』の事を記事にしていた。
全てを被災し新聞社としての最大の危機に社員たちは立ち上がった。
試行錯誤の末『手書き』で6人の記者が集めた情報を記事にし書き込み、できた紙面は避難所やコンビニに張り出した。
その手作り新聞が米ワシントンの報道博物館で展示されることが決まった。

   地元は全ての人が知恵と体力を使い、その日その日を必死に生きている。
なのに東京の政治家、官僚や今回の東電の原発事故に関係している幹部や関係者の動きというのは、
なぜこうも動きがとろいのだろうか。
どこを見て仕事をしているのだろうかと思う。
わが身の保身?
いやいやこの震災を利用して今まで以上の既得権を増やそうとでも考えているのでしょうか。
現に菅首相の支持率が震災前より若干増えている。
『一兵卒発言』小沢さん。
なんだか表舞台から消えてしまっているけど、今こそ被災地で汗水たらして働けば、選挙民の心を引き付けらるのでは?
その他民主党や、自民党、またそれらから飛び出した議員たち。
一体今あなたたちは何をしているのですか。
国会でヤジを飛ばしているだけが仕事では無いはずですよ。
国会議員とは『国民が平和に人間らしく生活できるように』していく職種なんですが、出来なければ退職されればいかがですか。
その歳費を被災地へ義捐金として送付しても、だれも文句のいう国民はいません。
また議員が多少減ったところで、能無し議員ばかりでは日本の行く末にそう影響があるとは思えません。




  
   今回の原発事故で今まで知らなかった『団体』の不祥事や過失が表面化している。
普段からどうせボーとしているから、こういう非常時に何をしていいのかわからないのだろう。
まさか自分の在任中に起こるとは!!!、、、と。


原子力安全保安院  いつもだるそうに何か難しい事を言ってる。
でも事故が起きるまで何をしていたの?
監視する立場に有ったのなら、サボっていたの?
それとも東電と『ナアナアの関係』だったの?
事故が起きてから、偉そうに難しい事言って国民を煙に巻きそうな、、、。
日本まあ役所だから、こんな記者会見でいいんでしょうね。

(官公庁のひとつで、原子力その他のエネルギーに係る安全及び産業保安の確保を図るための機関)だって。


原子力安全委員会   最近になって表面化した組織。
何してたの?と言いたくなる前に、そんなの必要あるの?って。
だって素人目にはどうせ御用学者しかその組織にいないだろうから、
こんな非常時には公式に発言させてもらえないだろう、と。
現に原発事故以来その活動や発言はなし。
いらないのでは?
(日本の行政機関のひとつで内閣府の審議会等のひとつ)だって。


原子力委員会 (1956年に設置された日本の行政機関)だって。
原子力安全委員会とどう違うの?
権限も能力も行使できないのなら、解体すればいいのに。

原子力安全基盤機構
1 原子力施設及び原子炉施設に関する検査その他これに類する業務
2 原子力施設及び原子炉施設の設計に関する安全性の解析及び評価
3 原子力災害の予防、原子力災害(原子力災害が生ずる蓋然性を含む。)の拡大の防止及び原子力災害の復旧に関する業務

などが業務だって。
すると今回の原発事故に関しては、この組織役立ってなかったんですね。

原子力発電環境整備機構
原発事故が発生するまでは、CMに一番登場していた組織。

(原子力発電によって廃棄される高レベル放射性廃棄物の最終処分および最終処分場の建設・管理など処分事業全般を行なう日本の事業体)だって。
要は汚い物に蓋するって原始的な考えなんでしょうか。
地震国日本でいくら深く埋め込んだって、所詮は無理だと思うけどね。
深ければ深いほど、今回の地震でどこか地割れして影響有るかわからないもの。


  今回『原子力』とネットで検索をかけると、すごい数の組織がヒットします。
普段こんなにも有りどんな事をしているのかなど、考えもしなかった。
でも案外組織として、重複しているのでは?と。
普段なしてるの?
原発事故が発生して、それなりの意義の有る組織だったの?
それとも原発事故が起こり、その存在を否定される組織も有るのでは?
いやいやそんな事何とも思わず、
これからもゾンビのごとく組織名を変えて残って行くのでしょうね。


  今日青年団の有志が祭りの寄付のお知らせチラシを持ってきた。
毎年恒例の秋祭りの事、地域としては寄付自体当然である。
しかし、、、。
『寄付のお知らせに参りました』とは、日本語を知らないという以前の問題。
いくらこの日に集金しなくても、『寄付のお願いのお知らせ』ではないのか。
いつも領収書には名前と金額までご丁寧に書かれている事には目を瞑っていたが、
この日は文句を言ってやろうと玄関へ出ると、当事者たちはもういなかった。
当たり前という感覚なんだろうか。
それとも教育の不始末の結果なのだろうか。
そしてなぜか貧乏人も金持ちも村の有力者も、相対金額は変わらない。
その金額と名前が祭りの当日、村の一番の目抜き通りに張り出される。
これって、晒しものに似てない?!

  寄付と言えば、自治会や隣保を利用してよく集める。
これも自由意思と言いながらも、ちゃんと名前と金額が入っている。
誰が寄付したとか、渋ったとかがすぐに噂になるから、自然と出してしまう。
集める団体はよくしたもので、こうした隣保組織を利用する。
『隣近所の目』をうまく利用するなんて、はっきり言ってずるい。
寄付という名の脅迫的集金システム。
でもみんな嫌々ながら寄付している変なシステムであるが、
村では致し方無い事も正直なところです。


 
    最近『法令』の何倍だが、健康に直ちに影響するものではない、
としきりに、政府や保安院のお偉方や評論家が、のたまっている。
しかし国民の大多数は、そんな言葉など本当は誰も信じていない。
直ちに、、、に影響はなかったとしても将来出てくる可能性もある。
水俣病など数多く例がある。
たとえ少量でも放射能物質で汚染されていては、
直ちに影響は無いと言われても食べられるものではない。
『大丈夫』という言葉やX線検査より『絶対安全』という言葉が、
政府や官僚が言えば言うほど『うそっぽく』聞こえるという事を、
ここ数年の間に国民は学んでしまった。
大丈夫、大丈夫といわれるたびに余計不信感がつのる。
歴史的過去の津波も顧みず、今回の『津波』は想定外という言葉で、
全ての責任を逃れると思ってるのだろうか。
案外これくらいの想定で無事やり過ごせたら、
ラッキーなんて安直に考えていたのではないでしょうか。
人間、誰しも最悪なんて考えたくないものです。
でも大企業や政治家としての地位も名誉もある人が、
過去に有った事も見つめないで、よくも絶対安全なんて言えたものではないはず。
地震、津波、他国の原発事故など、他人事だったのでしょうか。
100%民間会社ではない寄り合い所帯のいい加減さが見え隠れする。
現場では死と直面するような毎日でしょう。
後遺症の心配もあるでしょう。
でもなんだか幹部たちは、別世界の事のような対応に、
不思議なものを見る気がする。


   今回もっと不思議で不審に思う事がある。
そもそも法令とはいかなるものなのだろう。
難しいことは分からないが、国民が安心安全に過ごせるように、
国家国民が最低限度守らなければならない秩序だと考える。
この考えには個々考えがあるだろうが、
せめて制定した組織は最低限度、いや率先して遵守しなければならないと考える。
なのに毎日のように原発事故に関し、『法令濃度の10~100倍でも大丈夫』だと。
えっ!!!!!!!!!!!!!!
えっ??????????????

   そもそも法令って守るべきものだと考えていた。
身近なことだと、『ネズミ捕り』がある。
わずかなスピード超過にも、隠れて警告もなく容赦なく捕獲する。
法令のわずかなオーバーでも、現場の警官は訊く耳を持たない。
わずかでも法令違反だから仕方ないと、庶民は諦めて反則金を支払っている。
なのに原子力発電所に関し、国家や関連省庁は
そもそも『地震』や『津波』からは絶対安全だと言ってた。
また想定外の地震や津波なんて考えていないから、
なんのリスク管理もしていないだろうし、
またぬけぬけと今回の地震は想定外だから、
事故が起きても仕方ないと言い切っているように聞こえる。
もしも、、、という事は、誰しも考えたくないのだろう。
自分たちが定年まで無事過ごせたらという様子や、態度が見え見えである。
その幹部たちの『不作為』は何万人もの人々の暮らしを犠牲にしている。
また日本国の信用も無くしている。
誰もが羨ましがる企業のトップであるが故の油断や奢りにしては、
あまりにも認識が甘すぎる。
『法令』を遵守し、社会の秩序の守るべき政府や官庁、
その『法令』を超えているが大丈夫、で全てを済ませようとしている。
『不作為の犯罪』にも相当する今回の原発事故の後始末のお粗末を、
国家と評論家や学者たちが曖昧にしようとしているのか。
そもそも『法令』があるのに、法令を超えても大丈夫だと言うのなら、
何のための法令なんでしょうか。
ただ単なる『目安』なんでしょうか。
国民には『法令』はある種、絶対的なもの。
でも『国家的企業』の犯罪というべき不始末に関しては、
保安院という訳のわからない組織やお抱え評論家が『大丈夫』だと言って、
『法令』を骨抜きにしているようにしか思えてならない。
本当に大丈夫なら、20km圏内に政府の対策本部を移せばいいし、
そこの野菜を国会内の食堂に出せばいい。
今になって計画避難しろなんて言ったりして、、、。
どうも言ってることや、やってることのあいまいさが不安を増す。
いやいや少しずつ小出しにする事で、事の重大性を曖昧にするのでしょうか。

   他の事でも役所、官庁は絶対自分たちのミスを認めようとしない。
計画して推進し、事故が起きる頃には、
当事者たちは別の組織でぬけぬけと生活しているか退職している。
責任有る立場に無いと言いながらも、やはり道義的責任は有るはず。
私財を叩いてでも責任の一環をとるべきである。
現役時代はふんぞり返って良い目をしているのだから、、、。

   地震や津波などあって当たり前の地震国日本。
それなのに人間は、日本は、特に東電の幹部たちは、
自分たちが退職するまでは何事もないだろうという甘えや、
天災や自然に対し奢りがあったのではないでしょうか。
いやいや自分たちの定年までは、何事も起こらないだろう、、、と。


   原子力を非難するわけではありません。
国民としてじゅうぶん恩恵を受けて生存しているわけですが、
そこに当然『是』もあれば『非』もあるはず。
この原発事故があるまでは、
原発は他の電力発電より優っているとのかなりの告知や風潮がありました。
co2の問題、コストの問題など今になって考えれば、
データーを原発推進派の政府や電力会社に都合のいいように操作し、
電力会社や関連省庁に刷り込まれていたように思う。
花を愛する者としては、c02が植物の生育に不可欠なもののひとつで、
悪?ではないはずとの認識が有ります。
地球温暖化の原因と言いながらも、今冬の冷夏はどう説明するのでしょうか。
またコストに関しても、『ランニングコスト』だけを捉えて、
メリット面だけをより強調して告知刷り込みをしていたようにしか思えない。
建設、賠償、そして災害がなくても廃炉するにあたっての費用などは、
この『コスト』に試算されているのかどうか疑問である。
『原発』と共存の市町村の繁栄ぶりを見るに、
その費用が火力発電より費用が安くなるというのは、不思議である。
そうした費用は原発関連とは別費用なんでしょうか。
原発を推進するが故の、推進派の学者たちの都合のいいデーターばかりを、
積み上げていたようにしか思えない。
どんな物にも『是』も有れば『非』もあるはず。
なのに原発事故が有るまでは、『原発は完全無欠』な存在で、
無ければ今の快適な生活は確保できないような操作も見受けられた。
学校教育やテレビなどの媒体を使い、あらゆる場面でそう刷り込まれていたように思える。
ちょうど隣国の『社会主義国』の思想教育のように、、、。

   今こそ自然の脅威に対し、人間は謙虚にならなければならない。
過去何度となく繰り返される自然の猛威に対し、立ち向かうだけの術ではなく、
自然と共存するように、生活を見直すべき時期になっているのではないでしょうか。


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